人生における三つの試練をスウェーデンの諺から学んでみよう。
「愛すること、忘れること、そして許すことは人生の三つの試練」
この言葉はスウェーデンの諺です。
そうか。
「愛すること」
それも試練なのか。
確かにそうなのかも知れないな。
恋愛って、実は嬉しいことや楽しいことよりも、辛いことや寂しいことや悲しいことの方がはるかに多いと思うんだ。
たぶん比率にして、2対8くらい。
いや、もしかしたら、1対9くらいの比率になるかもしれない。
でも人は誰かを愛しているとき、そんなときは1が9よりも大きくなるから不思議。
1しかない嬉しさや楽しさが9もある辛いことや寂しいこと、そして悲しいことを上回る症状が起こり、それが「愛すること」なのかも知れないと僕は思うんだ。
だとしたら、愛することは、1のプラスで9のマイナスをカバーしなければならないわけで、
なるほど試練だと言われれば、確かにそうなのかも知れないと納得する。
でも元来忘れっぽい僕は、
「忘れること」
これはそれほど試練とは感じない。
というか、忘れなきゃいけないことより、忘れないようにすることの方が僕には試練だ。
脳のメモリ容量が許容量いっぱいで、何かを忘れないと次のことを詰め込むことが出来ない状況になってきている。
老化によって「忘れること」に試練を感じることがなくなったのかも知れない。
それから、
「許すこと」
これもそれほどの試練ではないと思ったりする。
最近は僕も人間的に丸くなっているので、人に何を言われてもそれほど怒りを感じることも少なく、堪忍袋の弾力性が増している。
もしかしたら感受性が劣ってきているのかも知れない。
たとえ誰かに怒りを感じたとしても、それほど根に持つことも余りなくて、一晩寝ればその怒りも簡単に収まってしまう。
まあ、ただ僕が「許せない」くらいの状況に、遭遇する機会が減ってきているだけなのかも知れないが、
果たして、皆さんはどうだろうか?
「忘れること」「許すこと」
これも、
「愛すること」
と同じように、試練だと感じてしまうのだろうか?
だとしたら、
あなたは、
間違いなくスウェーデン人だ。
そんなふうに思っていたけれど、今日のお昼の時間。
あ、
財布忘れた。
「忘れること」
財布を忘れた僕には、これが、かなり厳しい試練のように感じた。
腹減ったけれど、弁当買いにいけない。
昼飯が食べれない。
試練だ。
間違いなく試練だ。
空腹に耐える厳しい試練だ。
忘れることは確かに試練だった。
どうやら僕も、スウェーデン人に一歩近づいた。