理想の父子家庭を目指していたけど、理想の父子家庭ってどんなんだろう。
母親の存在を消し去ってしまったかのような子供らの姿。
母親が出ていったのに、そのことに全く触れなかった子供ら。
たぶん僕に言いたいことはいっぱいあったと思う。
聞きたいこともいっぱいあったかと思う。
でも、長女は母親が出ていったことはもちろん、母親のことも話題に出すことはなかった。
それは、まるで出ていくことが当たり前だったかのようっだし、母親なんてもとからいなかったかのようにも思えた。
きっと、長女は自分の中で母親の存在を封印したのかも知れないし、僕に対して気を遣っている態度だったのかも知れない。
そして長女が母親のことを口に出さないから、長男も口にしない。
3歳の長男でさえも僕の前では母親のことを全く口に出さないことには少し驚いた。
寝ている子供らの髪を撫でながら、僕はまだ小さなこいつらに、辛いことを強いている自分を責め、涙が止まらなかった。
それは妻を失った悲しさなんかではなく、子供らの母親を失わせてしまった辛さだった。
長女はまだ小学1年生。
長男は年少の幼稚園児。
きっと父親の僕よりも母親に甘えたい年ごろだっただろう。
でも子供らは気丈にも、泣くこともなく、いつもと変わらない笑顔で僕に接してくれた。
そんな凛とした子供らの態度は、僕の励みにもなり、そして生き甲斐にもなった。
子供らの笑顔が僕の背中を押してくれた。
僕らが父子家庭になっていたことに周りは気付かなかった。
どんなに疲れていても、子供らに疲れた顔は見せないように心掛けていた。
子供らは僕の顔色や言葉遣いに敏感で、少しでも僕がすぐれない顔をしていたら、何かあったのかと感じ取る。
だから、仕事の疲れも嫌な思いも家には持ち帰らないように気を付けていた。
というか、あまり気にはしていなかったと思うけどね。
でも僕はある意味、どんな状況下でも理想を追い求める性格だった。
父子家庭になってしまったのなら、理想の父子家庭を作っていきたなどと考える、かなり変な男だった。
理想の父子家庭といっても、あくまで僕の理想なんだけどね。
男親だから家が片付いていないとか、
男親だけだから子供の学校のことが出来ていないとか、
男親だから食事がしっかりとれていないとか、
男親だから子供らが可哀そうだとか、
他人からそんなことを絶対に言われたくなかったし、子供らにもそう思わせることはしたくなかった。
どんな家庭よりもしっかりした「父子家庭」を意識していた。
たぶんそれで、自分を追い込んでいたんだと思う。
僕は追い込まれないと何もしない、ぐーたらな一面も持っていたからね。
そんな自分を追い込んで理想の父子家庭を極めていたこともあって、
「最近、幹くんのママ見ないね、体調でも悪いの?」
息子の幼稚園のお友達のママさんたちにも、そんな程度の噂が流れる程度で、しばらくの間は、子供の通っている小学校にも、幼稚園にも僕が父子家庭になってしまっていたことが、ばれることはなかったんだ。
別に隠している訳でもなかったけれど、子供たちも母親が出ていったことを誰にも話さなかったみたいで、僕らが父子家庭になったことを周囲の人は全く気付かなかったみたいだった。
周囲に気付かれなかったことって、ある意味、理想の父子家庭だったのかも知れない。
理想の父子家庭って、どんなものなのさ。
理想の父子家庭なんて、そんなものはあり得ない。
子供らにとってはもちろん両親が揃っている方がいいとも思うし、それが自然なのかも知れない。
両親の役割分担や子供に対しての接し方も母親と父親は違うわけで、子供らが成長していくには、やっぱりそれは必要なものだと思う。
だからその頃の僕の理想は、両親が揃っている家庭に負けない父子家庭というのが、僕の理想だった。
いま思えば、勝ち負けで考えるものじゃないのになって思うけれど、自分を追い込んだことで、僕は理想に近い父子家庭を作り上げたと思っていた。
でもね、僕は子供らに両親が揃った、理想の家庭を作れなかったから、僕は父子家庭になったんじゃないのだろうか?
変な理想を掲げるより、
子供らが笑って過ごせる家庭があれば、それでいいんじゃね。